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  浄土真宗/真宗大谷派/東本願寺 愛知県愛西市稲葉町本郷200番地 西光寺

親鸞聖人の年表

親鸞聖人の年表


西暦  聖人年齢   出来事 
1173 1 親鸞聖人は5月21日(旧暦の4月1日)京都、日野にてご誕生になる。
1175 3 法然上人が善導の『観無量寿経疏』によって回心を体験し、専修念仏を奉ずる立場に進んで浄土宗を開く。
1176 4 お父さま(藤原有範と言われる)がご逝去。
1180 8 お母さま(吉光御前と言われる)がご逝去。
1181 9 親鸞聖人が9歳の時、慈円の下で出家得度され、比叡山天台宗の僧となる。
1182 10 恵信尼公がご誕生になる。
1191 19 磯長の聖徳太子廟に参籠した時、「おまえの命は、あと10年であろう」との聖徳太子の夢のお告げを受ける。
1198 26 赤山明神で不思議な女性と出会われる。
1198 26 関白九条兼実の要請によって、法然上人が『選択本願念仏集』を撰述される。
1200 28 大乗院で、如意輪観音の「解決出来る日は近い。私の任務も終ろうとしている」との夢告を受けられる。
1201 29 比叡山を下山され、六角堂に百日参籠される。その後、吉水の法然上人の下で信心決定され、弟子となられる。
1203 31 肉食妻帯を断行される
1204 32 法然上人が「七箇条制誡」をつくり、親鸞聖人はそれに「僧綽空」と署名される。
1205 33 法然上人より「選択本願念仏集」の書写を許される。
1206 34 三大諍論(「体失不体失往生の諍論」、「信行両座の諍論」、「信心同異の諍論」)
1207 35 承元の法難により、専修念仏禁止となり、親鸞聖人は越後にご流罪になる。また、法然上人は土佐へご流罪。住蓮房・安楽房、西意善綽房・性願房の四名は死罪となる。
1211 39 親鸞聖人の流罪が許される。
1212 40 法然上人がお亡くなりになる。
1214 42 上野国佐貫で浄土三部経の千部読誦を発願されるが、すぐに中止して常陸へ赴かれる。
1217 45 日野左衛門を済度される。
1221 49 山伏弁円が親鸞聖人を暗殺しようとするが失敗し、山伏弁円は親鸞聖人のお弟子となる。
1224 52 覚信尼公が御誕生になる。
1224 52 親鸞聖人は、「教行信証」のご執筆をほぼ終えられる。
1231 59 親鸞聖人は高い発熱で寝込まれた病床で浄土三部経読誦の夢を見られる。
1235 63 親鸞聖人はこの頃、関東から京都へおかえりになる。
1241 69 平太郎が熊野権現で霊夢を見る。
1248 76 親鸞聖人は、「浄土和讃」と「高僧和讃」を著作される。
1250 78 親鸞聖人は、「唯信鈔文意」を著作される。
1255 83 親鸞聖人は、「尊号真像銘文」「愚禿鈔」などを著作される。
1256 84 親鸞聖人は善鸞を義絶される。
1256 84 親鸞聖人は、「入出二門偈」「四十八誓願」などを著作される。
1257 85 親鸞聖人は、「正像末和讃」「一念多念文意」などを著作される。
1262 90 親鸞聖人は旧暦の11月28日に90歳で入滅される。

 

 


【真宗十派】
   【浄土真宗本願寺派(西本願寺)】 京都市下京区堀川通花屋町下ル
   【真宗大谷派(東本願寺)】    京都市下京区烏丸通七条上ル
   【真宗高田派(専修寺)】     三重県津市一身田町2819
   【真宗佛光寺派(佛光寺)】    京都市下京区高倉通仏光寺下ル
   【真宗興正派(興正寺)】     京都市下京区堀川通七条上ル
   【真宗木辺派(錦織寺)】     滋賀県野洲市木部826
   【真宗出雲路派(毫摂寺)】    福井県越前市清水頭町第2号9番地
   【真宗誠照寺派(誠照寺)】    福井県鯖江市本町3丁目2-38
   【真宗三門徒派(専照寺)】    福井県福井市みのり2丁目3-7
   【真宗山元派(證誠寺)】     福井県鯖江市横越町第13号43番地
【真宗大谷派歴代門主】
  初代【親鸞聖人】、第2代【如信上人】、第3代【覚如上人】、第4代【善如上人】、第5代【綽如上人】、第6代【巧如上人】、
  第7代【存如上人】、第8代【蓮如上人】、  第9代【實如上人】、第10代【證如上人】、第11代【顕如上人】、第12代【教如上人】、
  第13代【宣如上人】、第14代【琢如上人】、第15代【常如上人】、第16代【一如上人】、  第17代【眞如上人】、第18代【従如上人】、
  第19代【乗如上人】、第20代【達如上人】、  第21代【厳如上人】、第22代【現如上人】、第23代【彰如上人】、第24代【闡如上人】、
  第25代【浄如上人】
【仏教とは】紀元前6世紀ごろお釈迦さまによって説かれた仏になるための教え。人生は苦であるということ(四苦八苦)から出発して八正道の実践により解脱して涅槃に至ることを説く。キリスト教・イスラム教とともに世界三大宗教のひとつ。
【浄土真宗とは】鎌倉時代の初めに法然上人の弟子の親鸞聖人によって開かれた浄土教の一派。阿弥陀仏の浄土に生れて悟りを開くことを目的とし、阿弥陀仏の力で救われる絶対他力により信心だけで往生できるとする。真宗とも称し,一向宗,門徒宗などとも呼ばれる。真宗は主に十派あり、本願寺は蓮如上人により興隆したので、蓮如上人は中興の祖と呼ばれる。
【真宗十派とは】真宗大谷派(東本願寺)、浄土真宗本願寺派(西本願寺)、真宗高田派、真宗佛光寺派、真宗興正派、真宗木辺派、真宗出雲路派、真宗誠照寺派、真宗三門徒派、真宗山元派
【寺院とは】仏閣、僧院ともいう。一般的には仏教において、仏像を安置し僧侶などが住み、仏道の研究や布教活動のための修行や儀式を行う場として用いる建物を指す。日本では、古くは山の中に僧侶の修行の場として寺院が建てられたが、のちにお寺は人々の住む町の中につくられ、城下町にも寺院が造られた。江戸時代には、キリスト教を禁止するため、人々はいずれかの寺院に属さなければならないとする檀家(だんか)制度ができお寺は身近なものとなった。
【お墓の歴史】現代のような墓石を使ったお墓が建てられ始めたのは江戸時代の元禄年間の頃である。ただ当時は権力者などが中心で一般の人々には縁遠いものでした。一般の人々がお墓を建てられるようになったのは、昭和の初期から戦後高度経済成長で人々が豊かになってからだと言われている。最近ではお墓の代わりに納骨堂や自然葬(散骨、樹木葬、海洋葬)なども見られる。
【納骨堂の歴史】納骨堂の歴史は古く奈良時代に発掘されたものの中にはも見受けられます。当時は霊廟と言われ、墓石が江戸時代に誕生したのに比べ納骨堂の歴史はとても永く続いています。
葬儀・葬式の歴史】葬儀の歴史は古く、数万年前のネアンデルタール人の遺跡からも葬儀らしき痕跡が発見されており、日本では縄文時代の遺跡に、腕を曲げて体を負った状態で葬られた屈葬が発見されている。現在日本では火葬が主流になっているが、7世紀以前の仏教が伝来する前は土葬が当たり前であったようである。